粕谷氏の紙束より - 成田傑
2021/02/25 (Thu) 13:32:02
粕谷氏の紙束にはどこの社かいつの物か(日付)わからぬものが多い。
と一言断りを入れ二葉亭四迷の記事。
ロシア語文献の入手目的だったと書かれているが詳細は昨年の4月に発表されているのかな。
Re: 中村光夫全集 - 粕谷隆夫
2021/02/27 (Sat) 06:56:02
『編集者をつくった本』奇妙な題と感じました。今回は筑摩書房の方でしたか。
むかし男ありけり、今は昔。どうも想い出話が多くなります。1973年大学2年の夏休みに入る時、司書のかわいいSさんから、『この8月に中村光夫全集16巻が完結し、9月に書架に並びます』とささやかれました。うれしい。われらの下宿は行き止まりの西岡水源池にあり、成田さん、村野さんをはじめ、長い付き合いになる友人たちが集まっていました。札大露語教授になる山田さんも、実家が雪に閉ざされる冬期間だけ下宿していました。
9月のさわやかな秋天の午後、第6巻の『作家論④』を手にした感触は鮮やかに記憶しています。中心は小林秀雄で、【Ⅹの手紙】と【テスト氏】を中村がどう料理しているかでした。このとき、神西清【散文の運命】にもはじめて出会いました。
時々、肩から掛ける小さなカバンにこの全集を2冊入れて誰もいない水源池を散策し、そのあと西岡ガーデン(水源地内にありました)でビールや般若湯を味わいながら熟読しました。眠くなると、この2冊はちょうど良い枕になるのです。まさに失われた時を求めて、小林秀雄の【秋】の舞台です。
このようにのんびりしていると、『せりふ覚えたのか』と叱られます。初冬に演じるロシア語劇『どん底』の男爵役でした。また『粕谷さん、中村光夫という奴は、小林秀雄の尻について、そのあとをほじくりまわしてばかりいる男だ』と言われ、『誰が言っていた』『詩人の小熊秀雄です』。これを語ったひとは村野さんです。
Re: そんなこと言いましたか - 村野克明
2021/02/27 (Sat) 11:30:30
粕谷 様
(小熊秀雄が)小林秀雄の尻云々、とそんなこと私が言いましたか。まったく記憶になし。(小熊は文壇風刺の詩を書いていたので、その中の文句だったかもしれません。)
中村光夫は「小林秀雄の蒔いた種を拾ってるだけだ」と悪口言ったのは花田清輝かと思っていました。
だけど、中村の「二葉亭四迷伝」みたいな仕事は花田にはできない、です。
私は、小林秀雄は、高校受験の国語の試験に出て来るんじゃないかと、中三で読んだのが最初です。が、当時、読んでも何を言ってるのかわかりませんでした。あの調子(「小林節」)には引っ張り込まれたわけですが。ただし、(もう少しあとだったかに読んだ)「ドストエフスキーの生活」が(私には)よかった。
あとは皆さんと同じようなもので、小林のまわりの河上徹太郎、中原中也、中村光夫、大岡昇平などに目が行くわけです。小林が座談会で言ってましたが、「みんな、ロシア文学には世話になった」と。小林のドストエフスキー、河上のシェストフ、中村の二葉亭、ときて、(大学は違ったが同じ仏文仲間の)大岡さんだけがスタンダール。
もっと遡れば、芥川龍之介、広津和郎(チェーホフ)、宇野浩二(ゴーゴリ)など大正文士たちは皆、英語でロシア文学作品を読んでました。有島武郎は英語で「アンナ・カレーニナ」を読んでいた。
あの日夏耿之介ですら、若いころ、丸善から英語のツルゲーネフ全集を買い込んで、枕元に積んで、寝床(?)で読んでいた、と、何かの随筆に書いてました。
みんな、二葉亭の翻訳だけでは、追っつかなかった、そういう時期があったわけです。(その後、昇曙夢、米川正夫、神西清などが活躍しだすわけですが)
小熊、花田でとどめておくべきところ、またまた、脱線しました。あしからず。(ボケの証拠か・・)
最後に一言。このジャンルでは以下の書物がお薦め。
―― 蓜島亘「ロシア文学翻訳者列伝」(東洋書店、2012年3月8日刊)。
Re: 付記 - 村野克明
2021/02/27 (Sat) 21:11:21
小熊秀雄(1901.9.9小樽市稲穂町生~1940.11.20東京都豊島区千早町歿)が中村光夫のことでそんなことを言ったのかについて、「小熊秀雄全詩集」(1965.11.1、思潮社刊)で調べたが、中村光夫はどこにも出てこなかった。
すなわち、「文壇風刺詩篇」の17人の詩人・作家宛の詩篇、「文壇諷詩曲」(70人の作家・詩人たちをやり玉に挙げる)、「文壇諸公に贈る新春賀詩」(十二人が対象)に、小林秀雄、河上徹太郎は登場するが、中村光夫は現れない(当時、無名に近かったからでは?)。
「文壇諷詩曲」の中で小林秀雄については以下。
「細々とした文章の長さの中で
眼だけ光らしている小林秀雄よ
呪われろ、死んでしまえ、深刻好きな君が
地獄行の終電車に乗り遅れた格好だ。」
河上徹太郎については三木清と並べて、以下。
「河上徹太郎はー蒸留水
三木清はー工業用アルコール
前者は栄養にならず
後者はツンと鼻にくる。」
これに続いて岡本かの子が登場。
「岡本かの子は仏の路を説こうとも
あなたは女臭い許りだ。」
同じ「文壇諷詩曲」で中原中也をこう扱う。
「中原中也は書くものより
名前の方がずっと詩的だ
そっと尻をさするように人生に触れる
せいぜい温湯(ぬるまゆ)の中で歌い給え
彼にとって詩とは不快感を宣伝する道具だ。」
私は、小熊秀雄は、札大在学中に、札幌の本屋さん見つけた新書版の「小熊秀雄詩集」(その後紛失)で知った。旭川市内のどこかの団体が発行したものだった。それ以来、小熊秀雄は旭川生れの詩人かと思っていた。旭川新聞社で働いたことがあるが、生れは小樽。子供の頃、樺太にいたこともある。
長い叙事詩の類いも壮観だが、その短い抒情詩の類いが、(私には)心に残る。
亡くなった時は39歳。極貧で葬式代のカネがなく、大井広介、杉山英樹、平野謙の三人が、「槐」「現代文学」の売上金を用いて、詩人を葬った。
Re: 北海道新聞の記事 - 村野克明
2021/03/01 (Mon) 23:36:25
成田 様
昭和35年頃の北海道新聞の記事、どうもありがとうございました。「
「天業」なんて言葉、初めて見ました。
日中往復はがき詩集、漫画台本、これもまだ、観たことがありません。
そのうち、どこかの図書館で、全集を覗いてみます。