えりも昆布の森 - 粕谷隆夫
2021/05/11 (Tue) 07:40:54
NHKの『プロジェクトⅩ』でえりも町の昆布の森復活の物語が再放送されました。当社の社員も見た人が何人かいて、『初めて知った』『襟裳の春は何もない春ではない』としゃべっています。
草野心平に【エリモ岬】という詩があります。
炒卵黄をまきちらしたような。
エゾヒメタンポポの黄をふみながら。
親子連れの野放し馬が草を喰み。
向うに遥かに木のないセピアのゆるい丘丘がつらなる。
(あんなあとにこんな風景が展開するとは)
ウルトラメールの深い海が。
荒くはじけ。しぶきをあげ。
泡だつ大波にゆらゆらゆれる昆布の黒帯。
巌に並ぶ鵜の鎌首。
ハクセキレイの稲妻の流れ。
(この茫漠が現われようとは思へなかった)
セピアの丘丘は重なり重なり海にのび。
そのはじっぽのエリモ燈台。
道南端の。
白チョーク。
いま思うと勘違いしてます。昆布の黒帯に騙された。昭和26年の作品なので、砂漠化していた真っ最中でした。小生の大学時代、国鉄日高本線様似駅から国鉄バスで1時間半、このバスは十勝側の広尾まで通じていました。
しかし50年間の植林事業には驚きます。録画は消さないでおきます。峯雲先生は『北海道の昆布はやはり利尻が一番』というが、どうだか?青森県東海岸の浅虫温泉で昆布巻きさんとは、芸者さんのことです。
Re: 亡命ユダヤ人美術家と草野心平 - 村野克明
2021/05/11 (Tue) 10:47:07
大橋毅彦「D.L.ブロッホをめぐる旅 ―亡命ユダヤ人美術家と戦争の時代」(春陽堂書店、本年3月31日初版第1刷発行)(春陽堂ライブラリー4)から以下引用する(8~9頁)。
「(上略)ブロッホ(1910~2002)との出会いも、こうした流れの中で起こった。1942年12月、アジア・太平洋戦争が勃発して1年が経過した日本統治下の上海で、この美術家は「黄包車(わんぽつ) 上海の黄包車に関する木版画六十」(白緑黒(=ブロッホ)刻、太平書局編纂)と題する版画集を、日本の詩人草野心平(1903~1988)と共著の形で刊行する。
<蛙の詩人>あるいは<富士山の詩人>として知られる草野心平は、この時期、汪兆銘(1883~1944)を首班とする「中華民国南京国民政府」の宣伝部顧問の肩書を得て南京と上海を行き来しながら、詩の制作や両国間をつなぐ文化事業に関わる動きをとっていたが、そうした活動の途上で、上海の街を走る営業用の人力車とそれを引く車夫の生活に取材してブロッホが制作した木版画に、日本語並びに中国語表記の詩的な解説を施していったのである。
したがって、この書物は、正確にはブロッホと草野心平両者を著者とする、共同詩画集であると言うべきであろう。この本を実際に手にしたことが、私をブロッホの芸術と人生をめぐっての旅に向かわせるきっかけとなったのだった。」
版元の春陽堂書店のHPでの広告に目次の紹介がなく、ネット書店でもほぼそれに倣っているので、実際に店頭でこの本を手に取ってみないと、上記のことはわからない。
ナチスのダッハウ強制収容所にも収監されていたこのユダヤ系美術家(聾唖者)の興味深い作品がこの本の口絵と本文で紹介されている(アクリル、水彩、木版、油彩)。「移送中の手」(口絵16)などは香月康男(1911~1974)の絵を思い出させる。
Re: 山と海(川・湖) - 成田傑
2021/05/13 (Thu) 10:58:12
山の荒廃が下流域に影響を及ぼし海(前浜)の荒廃へと続くことは知られている。
プロジェクトX えりも岬に春を呼べ 砂漠を森に を見て
えりも町史(昭和46年3月30日)には、1953(昭和28)年砂漠化した土地の緑化のため浦河営林署えりも治山事業が設置され「はげ山復旧事業」が開始されたことだけは記載されている。
住民参加型の自然再生事業であることは、時代的にも触れられていない。
ネットで検索をかけてみると下記のヒットがあった。
地域漁業研究第49巻,第3号,2009.自然環境保全からみた漁村の多面的機能-北海道えりも町の事例から-
立教大学 関 礼 子
要約から… えりも岬地区は,在地の知恵をヒントに砂漠化した土地の緑化をすすめ,沿岸域の環境を向上させ,昆布をはじめ水産資源の漁獲高を飛躍的にのばした地域である。
また,ゼニガタアザラシの天然記念物化に反発した漁師たちが,ゼニガタアザラシとの「共存」の方法を模索した地域である。
えりも岬地区での漁村の持続可能性をめぐる経緯からみると,ここでの「漁村らしい」多面的機能として自然景観,環境教育,観光資源という3つの系に優位性があり,漁業が持つ漁獲高や市場価格の不安定さを補ってきた複合的な生業のあり方に着目すると,オプションとしてのエコ・ツーリズムの有効性がみえてくるが,実際には,エコ・ツーリズムはオプションたりえていない。
具体的に見いだされた漁村の多面的機能を活性化するためには,漁業者の日常に定礎した産業連関的な施策をボトムアップで形成することと同時に,地域にみあった柔軟で協働的な施策を構想する必要があるだろう。
Re: 感謝と謝罪 - 粕谷隆夫
2021/05/14 (Fri) 06:33:33
えりも町史、鵡川町史、函館市史、旭川市史、釧路市史など北海道各地のふるさと関係の本を、小生、30代に頂戴いたしました。無理して送ってくれた友人たちに感謝です。48歳、2000年、21世紀に入ってサラリーマン生活に決別した時、世話になった社長が栗沢におりしも基地(円山運送)を作っていたので、北海道の市町村史を記念に置いていけというので、今ではそこの会社の社長室にで~んとすべて鎮座しています。
常総市図書館の別室に、日本全国の市町村史があり、その背を見ると、みなさんの顔が浮びます。