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糟糠の妻 - 粕谷隆夫

2021/07/27 (Tue) 07:21:22

 宮本常一の『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』(平凡社ライブラリー)購入しましょう。また、「老舌を振るって悔いない」。これ使えるね。


 加藤秀俊の奥様がお亡くなりになっていたことを知りました。はじめてかれの本に出合ったとき、「えらいわかりやすい文章だ」と感じました。若い頃ずいぶんと読み、社会学が身近になりました。かれの大学時代の指導教授が、あの南博。「思想の科学」の編集を手伝ったとき、鶴見俊輔、多田道太郎を知る。

 彼も彼女も23歳、毎月2~3回は京都から東京へ彼女に会い(愛)に行くのだが、往復夜行列車で東京滞在実質一日、という強行軍。時代だねえ。

 昭和29年(1954年)、かれは奇跡的に、ハーバード大学の八週間「国際夏期セミナー」に合格し、必要経費はすべてハーバード。そして、「よかったらあと1年ほどアメリカで研究したらどうかね」と声を掛けてくれる助教授と出会う。これがのちに有名になるキッシンジャーでした。

 ここでかれは結婚を決心する。どっちみち結婚するなら、一生涯にわたってわかちあえるような共通経験をここ、アメリカではじめたい、と考えた。「いや、その共通経験こそがぼくたちの生活の根っこになるに違いない」と。ここからはかれの文章を写しましょうか。

 ぼくはハーバードまで先方負担の飛行機のキップをもらっていたが、あなたのばあいは外貨の使用がきびしく制限されていた時代とあって、横浜から阿蘇春丸という一万トンたらずの日本船籍の貨客船で2週間かけてロスアンゼルスに入港した。積み荷の大部分は日本製の雑貨類だった。その船に客室があって、合計わずか三人の旅客もはこんだ。いちばん安上がりの旅行で、あなたはそのひとりだった。それから東海岸までの旅。

 ゲートがひらいて、旅客がロビーにはいってきた。そのなかにあなたの顔がみえた。あなたもぼくを見つけた。おたがい駆け寄った。あなたはまるで体当たりをするようなスピードでぼくの胸に飛び込んできた。ぼくはそれを力いっぱいこたえて受けとめたが、あんまりあなたの体当たりが強烈だったから足がよろけた。あなたの目は涙でいっぱいだった。あの若いころの瞬間をぼくは九十歳になったいまも、ついさっきのできごとだったように鮮明に記憶している。

 ぼくたちは年齢をかさね、もう九十歳になろうとしている。握りあっている手や指も、おたがいずいぶん瘠せ細ってしまったが、ふたりのあいだを静かに流れている微弱電流のようなものはすこしもかわっていない。

 う~ん、どんなに仲のよい夫婦でも、結局どちらかが独りで残されるのか?



 

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