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秋天 ⑦

1:粕谷隆夫 :

2020/11/09 (Mon) 06:09:31

天道さんの『思えば遠くへ来たもんだ』という言葉を考えているこの頃です。

千束を過ぎ、吉原大門へ来ました。見返り柳。【柳は出口花はよし原】。豪奢なソープランドの建物はなんか嘘みたいです。昔はトルコ風呂の低い建物があり、それでも夜行で上野駅に着いた若者がタクシーで駆けつける元気な空気がありました。

小生が中学3年(1966年/昭和41年)のころは、吉原は民謡酒場が全盛でした。『ああ、ふるさとを離れてみんな都会に出てきているのだ』。と同時にビートルズの熱狂が始まり、荒川2中のわがクラスにも広がり始まりました。『粕谷、マニラに火をつけろ』と岡田君が詰め寄ってきました。リンゴ以外の3名が空港で暴漢に殴られたのです。我が友、小林君がエレキを始めたのもこの頃か。

ここから台東区と荒川区の境界にある【山谷】に入る。なつかしい。ドヤ街。

その前にユニークな南千住図書館を紹介します。ここは日本十進分類法(NDC)を採用せず、利用者本位に立った実践的分類を実行しています。入口に大きな掲示板があります。【酒気を帯びての入館はご遠慮ください】とある。暖冷房完備であるためのホームレス対策だが、入れば判るがこざっぱりしたインテリホームレスが多い。『大鏡はどこにおいてあるの』と聞くと、窓口のアルバイトの若者が、『うちのトイレは小さな鏡しか設置していません。ごめんね』と答えたので、『いまの若者は古典を読まないのか』と司書にため息をついた話が残っています。

とにかく雑誌が充実している。雑誌に対する希望も多いらしい。本になる前に雑誌の段階で消えていく情報も多いのだという意見を吐くらしい。ただ当日に酒を飲んでいないのは確かだが、昨夜の焼酎の香りが口元に残っている。まあ、しょうがないか。
2:吉澤稔雄 :

2020/11/09 (Mon) 09:43:01

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_881100/881043/full/881043_1604882581.jpg 山谷で思い出しました。昔、高校を卒業して間もない頃、粕谷大人が失踪して大騒ぎになったことがありましたな。

「隆夫が家出して帰ってこない」と母上から電話があったけれど、当方心当たりもまったくなく、手の施しようもなかった。

後に本人から聞いた話では、ただ興味本位で南千住のドヤに泊まってみたとのことでした。騒がせやがって……。
3:粕谷隆夫 :

2020/11/10 (Tue) 07:56:28

いやいや、それにしてもよく記憶していましたね。こちらはすっかり忘却。しかし写真の威力はすごい。この建物を見た瞬間、山谷の昔のドヤ街の大気に包まれました。

高校3年の時にドストエフスキーに出会って打ちのめされました。それから全作品を読む日々が続きましたね。ある夕暮れ、泪橋のあたりをブラブラして山谷に紛れ込んだら、あたりはセンナヤ広場の雰囲気だった。ポケットを探ると、岩倉具視が1枚、退助が3枚、あとは小銭でした。『これで十分だ』と考えたら、目の前の縄のれんに入りました。煙草の煙と労務者姿の人達が沢山。ひとりなのでカウンターに座ったが『あれ、ベタベタしていない』と感じたことを覚えています。大瓶のビール瓶と厚揚げ。しばらくすると梅割りを飲んでいるオジサンが横に座った。『兄ちゃん、見ない顔だな』。それからは複数の人間とおしゃべりしながら呑みました。いくつかの方言言葉が飛び交う。

自然に百円宿に泊まる流れになりました。こちらは【貧しき人々】のイメージで行きたいのだが、廊下ではチンチロリンを夢中でやっており、これじゃ【どん底】だと感じた。翌朝、みんな立ちんぼに出かけたが、ある爺さんが退助を1枚くれて『もうこんな処には来るな』と言ったのを記憶しています。山谷にも古本屋があり、ブラブラして浅草に出たのが昼過ぎだったと思います。

銭湯に入りたくなり、観音温泉に浸かった。そこには鐘紡南千住工場の男子寮にいる佐藤さん達がいたので、『また競馬ですか』と言ったら、目を向いて『馬鹿野郎、どこで何をしていたんだ』と叱られました。

まあ、子供は親にとって掌中之珠ということを知りましたね。

そうそう、我ら9人の仲間の青柳氏は、おそらく学年で一番の読書家(われらの目黒考二)だった。かれが『ロシア、あんな田舎文学をやると、のろま、愚鈍になるぞ』と言われたことも思い出しました。

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