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「口の悪い善兵衛」 - K.Murano

2023/03/26 (Sun) 11:22:55

老翁「こんな田舎に来たくなかった!」

母「復興したらもとの場所に帰れるやんか、体育館でずっと避難生活してる人もおるんやから、もうちょっとがんばってや」

目に見えるようです。

もしかしたら震災で身内を失って、気が立っていた「老翁」かもしれませんね。

たまたま国木田独歩の短篇「河霧」を、大正時代刊行の一巻物・総ルビ『縮刷・独歩全集』で読んで居たところでした。その中に、こんな「老翁」(ルビでは「ぢいさん」)が出てきます。

━━━「此(この)老人が其(その)小(ちひさ)な丸い眼を杉の杜(もり)の薄暗い蔭でピカピカ輝(ひか)らせて黙つて立つてゐるのを見ると誰も薄気味の悪い老翁(ぢいさん)だと思ふ。(中略)善兵衛は若い時分から口の悪い男で、少し變物(へんぶつ)で右左(みぎひだり)を間違へて言ふ仲間の一人であつたが、年を取ると余計に口が悪くなつた。」

仮設住宅のぢいさんと、この「變物」との「対比」は、ずれているかもしれませんが、何となく書いておきたくなりました。

1995年1月17日の阪神淡路大震災では神戸市の死者、負傷者の数が際立っていました。以下のサイトに(他の地域も含めての)表がありました。

https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/pdf/101.pdf

今回の樫本さんの訳著が、いわゆる大新聞で書評に取り上げられることを望みます。

Re: 「口の悪い善兵衛」 樫本真奈美

2023/03/26 (Sun) 13:53:36

「老翁」で「ぢいさん」とは!

「年を取ると余計に口が悪くなった」という文言に、その人がどういう人生を辿ってきたかが晩年の生き様に表れるように思えます。

被災して家を失っただけでも一大事ですから、あの「ぢいさん」が気がたっていたのは仕方ないですね。

あの時の首相村山富市は震災発生をテレビで知り、首相官邸に入ったのは発生から2時間40分後でした。
自衛隊は発生後数分で事態に反応し出動しようとしていましたが、当時は都道府県知事の要請がなければ出動できないなど、明らかに人災による二次災害だったと思います。自衛隊に対する理解や予算も低く、現場では「素手」で瓦礫をかきわけ人命救助をした隊員もいたと聞きました。
神戸では「野次馬」の車が渋滞して救援の邪魔になったり、全国から届いた救援物資の処理が追い付かなかったりと問題点が浮き彫りになりましたが、その後の各地の災害時にはその経験が見事に生かされていくのを見て、日本の災害時の行動は本当にレベルが高いと思います。

・・・訳書、大新聞が取り上げてくれたら嬉しいな・・・

Re: クラッシュ - 粕谷隆夫

2023/03/27 (Mon) 07:26:48

 平成7年・1995年1月の阪神淡路大震災のとき、小生42歳でまだ運送屋のサラリーマンでした。二本松の親分が新年のあいさつ回りでちょうど関西にいて驚心動魄。千葉柏市の私が勤める会社に3人交代で寝ないで運転して、まっすぐたどり着いた状態でした。しかしその後、東日本大震災が起きた時、浪江町(?)の仮庁舎を建てる場所に、自社の駐車場を提供した遠因は、間違いなく阪神淡路の記憶だろう。

 今でも鮮明な記憶は、神戸市長田区の全壊した教会に堅忍と慈愛の姿で立つキリスト像です。もう一つは、毎日歌壇選者の河野裕子が選んだ一首。この方は女子中学生か。
   圧死せし友を悲しむ私は生きて
            暗夜に生理始まる

 佐野眞一氏は昨年75歳でお亡くなりになりました。彼は私と同じ流山市に住んでおりました。

Re: 「口の悪い善兵衛」 樫本真奈美

2023/03/27 (Mon) 20:07:42

粕谷さま
そうですか!佐野眞一さんお亡くなりになったんですね、同じ市に住んでおられたとは!
「クラッシュ」、読んでみようと思います。

長田区は映像でよく出ていた火災がひどかった所なので、教会のキリスト像のお話に感動しました。知りませんでした。
また、女子中学生の句、胸に刻みます。

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