老人語 その2
- 美水正一
2025/02/27 (Thu) 04:34:41
介護に役立つ『老人語』のサイトを見つけました。若い介護師さんたちに老人語を勉強してもらって仕事に役立ててもらおうとの企画なのかも知れません。そのサイトにこんな例文がありました;
① 「そこの衣紋掛けにかかってるオーバーを取ってくれるかな?内隠しに時計が入ってるから」
② 「わしの猿股とズボン下はどこかな?トックリセーターもお願い」
③ 「指を擦りむいた。赤チンかヨーチン持ってきてくれるかな。クレゾールでもいいわ」
それぞれの例文には下記の注釈がついています:
衣紋掛け(えもんかけ):ハンガー
オーバー:コート。外套(がいとう)とも
内隠し(うちかくし):内ポケット
猿股(さるまた):ブリーフ(男性用下着)
ズボン下(ズボンした):ステテコ
トックリセーター:タートルネックセーター
赤チン:家庭用消毒薬、代名詞的に使われていた
ヨーチン:ヨードチンキの略、家庭用消毒薬
クレゾール:家庭用消毒薬
また、老人語にも世代間の幅があり、例えば「コート」は今のシニア世代は「オーバー」だが、もう1世代上になると「外套」との説明がついています。ロシア文学の名作ゴーゴリの『外套』も今どきの翻訳者の手にかかると「コート」との訳がつくのでしょうか?
この例文に着想を受けジイジと孫、バアバと孫の会話を自作してみました。先ずはジイジと孫の会話:
ジイジ:「ジイジの子供の頃は“とっくりのセーター”っていうのがあってな」
孫がジイジの言葉を遮り驚いた声で言う。
孫:「ジイジ、何それ?怖いよ!それを着るとすぐに死んじゃうの?」
ジイジ:「安心おし。“ぽっくり”のセーターじゃないよ。”とっくり“のセーターだよ」
続いてバアバと孫の会話:
ばあば:「ミーちゃん、そこのエモンガケ取ってくれる」
孫:「ばあば、何それ?“エモンガケ”?それって柔道の新しい技?それとも丸亀うどんの新メニュー?」
この種のもので、又何か思いついたら続けます。(2025年2月27日)
命名!新タイトル
- 美水正一
2025/02/26 (Wed) 10:52:45
村野氏よりの助言-「元気に歩き回っている」美水さんですから、「僕の細道」同様、「歩くこことに関係のあるタイトルはどうでしょうか ― の一言に触発されて名付けました。
「歩く」→「歩行」→「紀行」→「紀行文」→「平安時代」・・・平安時代を代表する紀行文といえば「更科日記」。そうか、日々の身辺雑記を綴る僕の文章は自分の日常を晒すことでもある。今後、老化が進むと様々な奇行を重ねることにもなる。さすれば「奇行」を潔く晒すつもりで「晒しな日記」としよう!
オリジナルの「更科日記」は作者たる菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が13歳のおり、父の任地上総(かずさ)国(千葉県中央部)から帰京する旅の記録に筆をおこし、以後40余年に及ぶ半生を自伝的に回想した記録とのこと。
〈あづま路の道のはてよりもなほ奥つかたに生ひ出でたる人,いかばかりかはあやしかりけむを……〉と書き起こしているが札幌生まれの僕も、「あづま路の道のはてよりもなほ奥つかたに生ひ出でたる人」には違いはない。ここは図々しくも厚かましく、ふてぶてしいままに「更科日記」にあやかろう!・・・ということで「晒しな日記」と名付けることに致しました。1~3巻と続いた「僕の細道」同様お引き立てください。
停車場たてもの紀行
- 粕谷隆夫
2025/02/26 (Wed) 08:53:25
弊社の倉庫では、大和ハウスの真岡工場、竜ヶ崎工場向けの断熱材製品を保管しています。そして本年の『週刊新潮』には、大和ハウス工業総合技術研究所が提供するユニークな駅舎を紹介するシリーズが掲載されています。これが面白いので切り抜いています。
25回目が、『石炭と港、風格の駅舎→→旧室蘭駅』。明治時代、石狩地方で採れた石炭を積み出すために、留萌や小樽などの港が作られました。しかし冬には日本海側は雪と風(今も同じ)。太平洋側に港を!
2892年(明治25年)岩見沢~室蘭に鉄道が開通する。港湾工業都市の出現。30トン積みの石炭貨車を60両つなげた、全長600メートルの石炭運搬列車の出現(知らなんだ)。昭和32年当時(小生5歳)、室蘭駅の職員は420人もいた。おお、國鉄・・・NHK「旅路」。
写真は、今は観光案内所になっている旧室蘭駅舎です。
老人語(ろうじんご) - 美水正一
2025/02/25 (Tue) 03:31:03
毎週土曜0:45~13:00NHKで放送中のラジオ番組「国語辞典サーフィン」で「老人語」という概念があることを知りました。
言葉には「古語」「死語」「廃語」「俗語」「女性語」「学生語」など様々なカテゴリーがありますがその一つに「老人語」というものがあるそうです。
「古語」とは、古い時代の言葉で、昔は使われていたが今では使われなくなった言葉です。一方、「死語」「廃語」は現在では使用されなくなってしまった言葉です。それに対して「老人語」とは、やがては「死語」に分類されるかもしれないが、まだそこまでには至っていない、その時代の一般的な言葉よりもよりも古い語彙や言い回し、と理解して良いようです。
ウイキペヂアなどにはかなり多数の老人語が一覧として掲載されています。その内の相当数の言葉は、僕にとってまだ現役であり、今でも使える言葉と思えてしまうことが、自分自身が年を取ってしまった証左なのでしょうか。番組では「衣文掛け」(ハンガー)や「とっくり」(タートルネック)のセーター等も「老人語」の予備軍ではなかろうかと、紹介されていました。
電話機やテレビの「チャンネルを回す」、といった表現もプッシュボタンやタッチパネルの登場で「老人語」、と言うよりむしろ「死語」と化したかも知れません。昨今では履くことも見ることも少なくなった「下駄」。数量・点数などを水増しして、実際よりも多く見せることを「下駄を履く」、とか「下駄を履かせる」と言いますが、この表現ももはや老人語と化し、今では「厚底ブーツを履かせる」とでも言い換える必要があるのかも知れません。
1973年日本全国のスーパーの店頭からトイレットペーパーや洗剤が消えました。オイルショック(石油危機)です。僕の場合、自分の老いを図らずも悟ってしまった衝撃が「老いるショック」です。機械要素の一つに潤滑剤の漏れを防ぐ密封装置「オイルシール」があります。この世に、老化を封印することのできる「老いるシール」なるものが存在してくれるなら、と夢想する今日この頃です。
因みに小生、本日をもってめでたく「後期高齢者」の仲間入りを果たしました。(2025年2月25日)
Re: 老人語(ろうじんご) - 粕谷隆夫
2025/02/25 (Tue) 06:46:32
「衣文掛け」は懐かしい。パソコンで出ません。「慰問」になってしまいます。
親父は「おい、衣文掛け、取ってくれ」と言ってましたね。こちらはハンガーと言っていたかな?
Re: 老人語(ろうじんご) - 川上 宏
2025/02/25 (Tue) 18:37:21
サンキュータツオの「国語辞典サーフィン」は
毎週聴いています。
TBSのTVドラマ、"金曜日の妻たちへ"の主題歌"恋に落ちて"の
「ダイヤル回して手を止めた♪」という歌詞。
この歌の肝なのですが長女に「意味が分からない」と言われた時はショックでした。
長女が生まれ育った時代、「ダイヤル電話」は既に過去の遺物になっていました。
Re: 老人語(ろうじんご) - 川上 宏
2025/02/25 (Tue) 18:47:47
粕谷大人のご尊父、ご出身はどちらですか?
栃木や茨城の人は、"エ"と"イ"の音をはっきり分けて発音する
のが苦手だそうです。
だからエモンカケでなくイモンカケ?
Re:まさにそのとおりです
- 粕谷隆夫
2025/02/26 (Wed) 06:51:54
親父の親父は茨城県御前山の生まれです。東京に出たくて出たくて、長男でしたが家と山林を妹に投げ出した人でした。
たしかに親父は「イモンカケ」といつも言っていました。小生の頭には「イモンカケ」としか残っていません。やはり「慰問」になってしまいますね。
Re: 老人語(ろうじんご)
- 川上 宏
2025/02/26 (Wed) 08:34:16
「固定電話」もはや死語かも。
中島みゆきのヒット曲"悪女"。
"マリコの部屋に電話をかけて♪男と遊んでる芝居"
続けてきたけれど♪
"あなたの部屋も♪受話器をはずしたまま話し中"
携帯もスマホもなかった時代の"みゆきワールド"
月いちで守谷に集まり、定例会を行っている我ら。
死語を愛し、老人語を母国語とする"旧若ものたち"なの
でしょう(笑)。
Re: 老人語(ろうじんご)
- 川上 宏
2025/02/26 (Wed) 08:43:43
「えま、エモ、エッカン、エクラだ?」
「今、芋、一貫、いくらだ?」
母は栃木県の出身。祖父はこんな会話をしてました(笑)。
『内なる移住』? - 粕谷隆夫
2025/02/24 (Mon) 07:52:07
今日月曜日は振替休日。こういう日は会社に行きます。すなわち誰もいない。シ~ンとしています。毎日、朝四時に起きて朝風呂。これも便利になってボタン一つです。
そのかわり、夕暮れに一杯やると、もう午後8時にはバタンキュウーです。ニュースを見てキーワードを書く。これが翌日には不明瞭なのです。細部が「あれ?」となる。細君が「あなた、そろそろ脳ドック」と言う。
昨夜は、ロシアに増える『内なる移住』。あれ、ウラル山脈の東側に移住するのかな?会社でパソコンを開きます。「あ、そうか」となります。くだらないことは覚えております。『トットリーナ』。ベラルーシ生まれのロシア育ちのイリーナさん。12年間鳥取市で暮らしているので「トットリーナ」と呼んで・・・。
まあ、うれしいことは、朝に会社でエサをばらまくと、雀ちゃんたちが40羽ほど急降下で集まってくることです。
昭和は遠く なりにけり - 美水正一
2025/02/23 (Sun) 09:39:32
明治34年に生まれ昭和58年に亡くなった中村草田男は「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と、詠みました。この句は、昭和6年(1931)、草田男31歳の年、明治が過ぎて20年ぶりに訪れた自分が通っていた小学校で詠んだ句と伝えられています。
昭和が過ぎて20年目は平成20年(2008年)にあたります。この年に58歳を迎えた僕は、果たして、つくづくと「降る雪や 昭和は遠く なりにけり」と詠む心境であったでしょうか?答えは「否」です。
平成20年のこの年、僕はロシアの大手鋼管工場への設備輸出案件で頻繁に現地に出張し、客先技術者を日本に迎えるなど多忙であったこと、大学および職場での後輩である親しい友人の不慮の事故、入院に伴い週末は毎週のように見舞いに出向いていたことなどが思い出されるものの(その後その友人は不幸にも若くして死亡した)、「昭和」が遠くなったといった感慨には至りませんでした。何故でしょうか?この頃の僕は、いわゆる「現役」として社会の動きのただ中にあり、その登場人物の一人として活動している気でいました。時代の移り変わりを認知する感覚は外から見て分かるもので、その渦中にいる時には気づきにくいものなのでしょうか?それとも僕が単に時代感覚を捉える能力に欠けているためでしょうか?
今年は昭和が終わって37年、ようやく僕は、最近になって昭和が過ぎて久しいのだ、という感慨を持つに至りました。僕は生まれてから58歳までどっぷりと「昭和」という漬物樽に浸かった古漬けのような人間ですが、「昭和」という時代を同じ一つのくくりでは考えられないのです。和暦の元号は645年に付けられた「大化」から、今の「令和」まで248個あるようですが、その中で「昭和」は1926年から1989年迄63年間も続きました。「明治」の44年も長い方ですが63年とは比較になりません。和暦の変遷を見てゆくと、飛鳥時代は「大化」の5年が最長でその他はせいぜい3-4年です。奈良時代は708年から715年迄7年間続いた「和銅」、鎌倉時代では11年続いた「文永」、南北朝長時代の南朝の「正平」が24年、室町時代に入ると1394年~1428年と34年続いた「応永」がひときわ目を引き、23年継続の「永正」、「天文」がそれに続きます。安土桃山時代では「天正」、「慶長」がともに19年、江戸時代に入ると「寛永」と「享保」がそれぞれ20年の長さです。これらと比較して「昭和」時代の長さは群を抜いています。
昭和天皇の在位期間にあたる63年間の「昭和」は、しばしば日本の黄金時代と称されており、文化的および社会的な大変革の時代でした。
昭和一桁は、昭和元年(1926年)12月25日から昭和9年(1934年)12月31日までの8年7日間を指します。昭和25年生まれの僕にとって、昭和の一桁時代はむしろ明治・大正の続きという感覚で、昭和一桁生まれ方々と自分が同じ時代に生きているという認識は薄いのです。この時代は、政党内閣の成立と崩壊、昭和金融恐慌、世界恐慌などの経済的混乱が発生し、満洲事変が勃発して戦時体制に移行し始めた時代です。
戦前は、1868年(明治元年)の明治維新を始まりとして第二次世界大戦終結の1945年(昭和20年)9月2日 迄です。つまり昭和20年9月2日迄が戦前で、それ以降が戦後です。「戦後」がいつ終わったのか、あるいは終わっていないのか、という問題も重要で、且つ、興味深いテーマですが、ここでは論じません。僕が思うに、一口に「昭和」と言っても、戦前と戦後とでは、社会の価値観・諸制度や政治体制が大きく異なり、激しい時代的な断絶があるので、「昭和」と言う同じ元号でひとくくりとして認識しにくい、という点です。
戦前、戦後という区分とは別に「昭和」を代表するキーワードの一つに「高度経済成長期」があります。日本経済が飛躍的な成長を遂げたのが1954年(昭和29年12月から1973年(昭和48年)11月までの19年間とされています。この間、「神武景気」、「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」、「列島改造ブーム」と呼ばれる好景気が立て続けに発生しました。「昭和」の最後には「バブル時代」も到来しました。「バブル時代」とは、1986年~1991年迄の株式や不動産を中心とした資産の過度な高騰、経済拡大期で、ピークは日経平均が38915.87円の最高値をつけた1989年12月29日となっています。1989年は平成元年ですがこれは、昭和64年でもあり、「昭和」の最後の年にバブル景気のピークを迎えたとも言え、何か象徴的です。
僕の入社した1974年(昭和49年)、新入社員である僕のスチール製のデスクの引き出しには会社支給の文房具と一緒にそろばんと30cmの竹定規が入っていました。これらはともに今では使う事の無くなったアイテムです。シャープとカシオの電卓の小型・軽量化、高機能化の競争の激化は1973年(昭和48年)からスタートし、やがて会社の経理部内で、請求書や領収書の処理、決算書作成、年末調整、賞与計算などの場面で、そろばんをはじく音は聞かれなくなり、我々営業部員も見積もり作成や原価計算でそろばんを使う機会は無くなりました。
僕の入社時のモスクワとの業務通信は手紙や電報でした。やがてテレックスが普及するやあっという間にこのツールがビジネス界を席巻しました。しかし、1980年(昭和55年)、コンピューターネットワークの構築、ファクシミリの登場でテレックス時代は思いのほか短期間で幕を閉じました。インターネットの爆発的な普及は1990年代中頃、すなわち平成6~7年まで待たねばなりませんが、その端緒は「昭和」の時代に始まっていたのです。こうした通信ツールの一大変換というのも、その前と、その後とで、時代の断絶を感じさせ、これも単一時代性を感じさせにくくさせる要因です。
テレビの登場は1953年(昭和28年)シャープによる国産第一号が先駆けとされています。カラーテレビは1960年(昭和35年)に登場し、全家庭に普及したのは昭和50(1975)年とされています。昭和50年のNHKのカラーテレビ受信契約数は2000万件を突破し、さらに昭和51(1976)年には、カラーテレビの普及率は94%となりました。 ブラウン管のテレビから液晶などの薄型テレビへの置き換えは「平成」時代を待たねばなりませんが、テレビの誕生と進化は「昭和」時代を通じて劇的に行われました。
「昭和」が幕を閉じ、「平成」も終わり「令和」を迎えて既に7年目に突入しています。「昭和」は今やレトロでノスタルジックなセピア色の古き良き時代として語られています。
人生の大半を昭和時代に生きたものとして、この時代に否定的な面があったことも忘れずに、とはいえ、往年を懐古しつつ、今になってようやく、しみじみ感ずるのです・・・「降る雪や 昭和は遠く なりにけり」。(2025年2月23日)
TODAYS ART ACTION - 川上 宏
2025/02/22 (Sat) 08:49:17
武蔵野美術大学OB OGによるグループ展。
われら忍岡高校の仲間、草野先生と奥様が出品されるそうです。
Re: TODAYS ART ACTION - 粕谷隆夫
2025/02/22 (Sat) 09:47:23
日本橋三丁目交差点の中央通りを日本橋方面に歩きますと、日本橋三越(銀座線三越前)にたどり着きます。そのさきに千疋屋があり、そこを左折しますと右側に三井別館があり、その地下にノース通信社がありました。
川上兄、3月5日、9日、どちらかの日時を決めてください。ヨロシク。
Re: TODAYS ART ACTION - 川上 宏
2025/02/22 (Sat) 14:22:41
暫定的に3月5日(水)午後~当会場集合ということにしたいと思います。時刻等については、草野先生のご都合もあると思いますので、確認のうえご連絡いたします。
よろしくお願い申し上げます。
「あなたへ」と「あなたから」のあわいで - K.Murano
2025/02/21 (Fri) 23:42:57
あと3日でプーチンの「特別軍事作戦」(ロシア連邦軍によるウクライナへの全面的軍事攻撃)が始まった「2022年2月24日」から満3年になる。
本欄でも紹介したオンライン出版『ROAR』(Russian Oppositional Arts Review)の日本語版の訳者二人が、昨年5月から、ほぼ毎月、白水社の「Webフランス」誌上で往復書簡を発表してきている。
今月2月の往復書簡は『ROAR』でのこのおふたりの仕事の総括的な発言もあり、読みごたえがある。
→ https://webfrance.hakusuisha.co.jp/categories/1092
以下は上記のHPから。
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■往復書簡 「あなたへ」と「あなたから」のあわいで 高柳聡子/アレクサンドラ・プリマック
ロシア文学の研究に歳月を捧げ、そこに生きる人びとに想いをよせる日本人研究者と、コスモポリタンとして生きながら、日本へと移り住んだロシア人。
反体制的なロシア語文化を発信する『ROAR』を日本(語)へ紹介することを通して結びついたふたりによる往復書簡。
文学とは、ロシアとは、日本とは、ソ連とは、戦争とは……ナショナリティや母語を越えて交わされ顕れる、連帯とはまた異なるそのあわいで。
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手書きでも原稿を! - K.Murano
2025/02/21 (Fri) 11:43:06
天道さんと吉澤編集長のやり取りを読みましたが、作業の「手順」の問題ではないか、と思いました。
天道さんは、大手の電気販売店に行って店員からじかに実物操作の「手順」を教えてもらったり、あるいは、缶ビールでも携えて吉澤編集長のところに行くとかすれば(まずは実際面では)万事済むことではないでしょうか。
要は、「リクツよりカラダで覚えろ」です。
キイボードで原稿作成するのが面倒だったら、遠慮なく、手書き原稿を私の方へご送付ください。私の方でワード原稿を作ります。「水源地」8号へのご寄稿、お待ちしております。お忘れなく。
天道さんへ - 吉澤稔雄
2025/02/20 (Thu) 00:11:59
昨日、100均でこれを買ってきました。何だかわかりますか? USBタイプC変換アダプターです。つまり、通常のUSBをタブレットやスマホのタイプCのコネクターにつなげられるようにするアダプターです。これを使うと何ができるかというと……。
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Re: 天道さんへ(つづき) - 吉澤稔雄
2025/02/20 (Thu) 00:24:48
例えば、これをタブレットやスマホの充電用コネクターに挿し、有線キーボードを接続すると、キーボードで文字入力ができるようになります。長い文章を書くような場合にこれは便利です。WORDのAndroid版アプリをインストールすれば、文書の保存もできるようになります。
アダプタはダイソーで税込み110円、有線キーボードは同じくダイソーで税込み1100円で売られています。
Re: 私にキーボードは必要なのか? - 天道公平
2025/02/20 (Thu) 23:09:43
〈愚者のぐうたら猫日記〉の私宛のメッセージ「タブレット続報」も読みましたが、「うーむ」と唸るばかりで、何と返信したらいいのか困ってしまいました。
私は粕谷大人以上に、パソコンやネットやSNSに無知なのです。
「常用しているキーボードがブルートゥース対応なので、」
ーブルートゥースって何?
「これを手順を踏んでペアリングすると」
ーいったい何を言っているのだろう?
「有線キーボード・マウスも、端末のUSBコネクターにUSBハブをつなげれば普通に使える(はず)。」
ーちんぷんかんぷん。そもそもUSBって何?
編集長はもうお忘れなのかもしれませんが、タブレットを使い始めた頃の私は、「づ」ってローマ字入力ではどう入力すれば表示されるのですか?と尋ねていたような人間です。さすがに今では「ドゥ」は〈d-o-l-u〉ぐらいの事は出来るようになって、ワープロとしては使いこなせていますが、それ以外のことについては全く無知のままなのです。
粕谷大人でさえ談話室の投稿に写真や新聞・週刊誌の記事を添付されていますが、私には出来ない芸当です。
スマホやタブレットに有線キーボードを接続すれば、もっと簡単に文字入力が出来るようになるから長文を書く時には便利ですよ、という編集長のお薦めは理解出来るのですが、そうまでして書きたいという意欲が私にはないのです。
タブレットのローマ字入力を使い〈一本指打法〉(@ありよしきなこ)で文章を作成するのは、かなり時間のかかる面倒な作業です。その面倒くささが私を抑制してくれているのです。書くより読みたい私には好都合な事なのです。
Re: 天道さんへ - 吉澤稔雄
2025/02/20 (Thu) 23:50:35
うーん、私には何とも返す言葉がありません。諺に曰く《You can lead a horse to water but you can't make it drink.》