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深川散歩 - Himagine吉澤

2024/05/03 (Fri) 21:53:03

せっかくの連休だから、何処かへ気晴らしに行きたいと家内が言うので、思い立って深川に行ってきた。

まずは清澄白河駅へ。そこから深川資料館通りを抜けて東京都現代美術館に向かい美術館見学。その後木場公園を通って仙台堀川沿いの道を西に進み、木更木橋近くのブルー・ボトル・コーヒーに立ち寄って、最後に深川不動にお参りし、門前仲町から帰ってきたという次第。

現代美術館は、休日にもかかわらず来館者がごく僅かで閑散としており、ゆっくりと作品を鑑賞することができた。おまけに東京都の美術館だから入館料も安い。あれは穴場だな。むしろブルー・ボトル・コーヒーの方が店の前に長い行列ができていて混雑していた。店内で飲食するには1時間待ちだと言われた。

今日はあまり暑くもなく、空気も乾いていて気持ちよかった。たまには都心を散歩するのも楽しいものだ。

京都の喫茶店から「都はるみ」へ - K.Murano

2024/05/02 (Thu) 22:42:25

 住んでいる所から歩いて相当に遠い(新刊)書店で以下の文庫を購入した。二か月ほど以前のことだ。

――『喫茶店文学傑作選集』(林哲夫編、中公文庫、2023.9.25初版発行)。

 裏面のカバーに、「28篇の選び抜かれた短編小説・エッセイなどから、明治以来の喫茶店文化の神髄に触れる。」と刷り込まれていた。

 28篇の著者は以下(★印は女性)。

―― 夏目漱石、森茉莉(★)、水野仙子(★)、谷崎精二、村山槐多、中戸川吉二、浅見淵、北園克衛、植草甚一、戸川秋骨、田村泰次郎、中原中也、小山清、安田武、澁澤龍彦、埴谷雄高、戸川エマ(★)、伊達得夫、山崎朋子(★)、野呂邦暢、洲之内徹、高平哲郎、平岡正明、小野十三郎、常盤新平、吉村昭、鷹野隆大、山田稔。

 ご覧の通り、★は4つしかない。これが第一の不満。第二の不満は、喫茶店で働く人自身による文章がなかったことだ。経営者が書いたものも、ない(こちらの記憶違いはありうるけれど)。

 それら28篇で(私にとって)一番けったいだった文章は「都はるみが露出してきた」(平岡正明)である。たしかに京都の喫茶店に言及してはいる。だが、相当な迫力で、都はるみ(京都の西陣の出身、父はコーリアン)を登場させているのだ。頁の中ではるみの歌声ががんがんと流れている印象を抱いた。
 こんな描写がある。

━━━━━━━━━━━━

 彼女〔都はるみ〕の舞台はすごいものだ。絶叫するまでに彼女が声をはりあげる時には、のけぞらず、逆に、前傾姿勢をとり、燃える杭木がかしいで倒れていくように歌う。すると小柄な身体が、ワンワンというほど唸りをあげる。

━━━━━━━━━━━━

 この叙述に(TV見ただけの私であっても)異論はないが、実際にその舞台を見たわが母いわく、舞台の右から左へ、左から右へと、あの振袖のキモノ姿で、あの足の運び・あの裾さばきを駆使しながら、軽快に飛ぶ動いていく、その姿にこそ驚かされたし魅了された、という。歌よりも足元に「目」を奪われた、ということだ。圧倒的多数の他の演歌歌手には真似できないパフォーマンス、と言えるのではないか。

 都はるみ、といえば、『渇水』の著者:河林満(1950-2008)の「師匠」中上健次(1946-1992)に『天の歌 小説 都はるみ』(毎日新聞社、1987.11.30発行)という作品がある。

 そこに、こんな描写がある。

 (中上健次は、「最後の」ワンマンショーでこの「小説」を締めくくったが、現実には、都はるみは復活し、21世紀になってから「退場」した。去り行くっ前に、青森の野外舞台では、ロックバンドの演奏でキモノ姿で激しいロックンロール調にアレンジした持ち歌と「足技」の動きとを披露した。私はそれをネットで見て、「真っ赤な太陽」を唄ったミニスカート姿の美空ひばりをなぜか思い出した。

 〔以下の引用、適当に行間あける〕。

━━━━━━━━━━━━

 〔上略〕額にか、胸にか〔、〕ついた転生の大歌手の徴〔しるし〕を甘受して生き直せ。
 月並みな歌手の青春を羨やむのはよいが、月並みをなぞって何が面白かろう。普通の女の一生を羨やむのは当然だが、蓮の花がくちなしの花になろう、朝顔になろうとしてみてどうなろう。ファンは叫んでいた。

 ファンは叫んでいた。普通の女、普通の男であるファンの一人一人は、自分が自分の一生をしか送りようがなく、十把ひとからげに普通と呼ばれる人生なぞ生きてはいないのを知っている。

 ファンの一人一人は、春美が徴つきの歌手だから一層、徴に苦しみ、徴に泣くのを知っていた。徴こそ春美の歌が万人の心を揺さぶり、打ち、どんな固い心の扉でも開けてしまう力だった。春美にすれば何でもない歌だが、聴く者は涙滂沱(ぼうだ)となる。

━━━━━━━━━━━━

 今年になって、(ネットで見たが)名だたる演歌歌手が多く集まり、<都はるみ特集>をやっていた(TV番組でか)。その中で、或る女性歌手が「はるみちゃあん、かえってきてえ」とラブコールを送った。
 
 私はその声音に違和感を覚えた。ひっそりと暮らしている(暮らしたい)「ふつうのおばさん」に対して、そうした誘いの言葉はどうなのか、と思ったのである。

 あの足の運び、あの裾さばきは、いまの「ふつうのおばさん」には、無理、というものだ。「都はるみ」が再々登場したら、上記の平岡正明のいう「前傾姿勢」は可能だろうが、もはや、彼女に「足技」(あしわざ)を要求するのは、酷(こく)というものだ、ラブコールは不要だろう。

 

Re: さようなら、さようなら、元気でいてね - K.Murano

2024/05/02 (Thu) 22:52:21

うまい女性演歌歌手はたくさん現れた。

しかし、都はるみのように、振袖すがたで舞台の上を素早く縦横に動いた歌手はいないのではないか。右腕を斜め上に突き上げてその右腕を露わにしてみせる、そのポーズ。体全体を震わせる、そのパフォーマンス。

都はるみの歌は、歌だけを聞いていては、面白さが半減してしまうのではないか。あの舞台の上のすべての動きを見ながら聞くに限る、という歌(歌手)なのではないか。

●好きになった人
https://www.youtube.com/watch?v=JC7V8JHxJiY

●「王将一代 小春しぐれ」(歌謡浪曲)
https://www.youtube.com/watch?v=L6K6gVjLoUA

●「夜来香 オリエンタルムードを唄う」
https://paraisorecords.com/?pid=115924309

●夜来香/1972年
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=o3ONBlZ13vQ

●ふるさとよ
https://www.youtube.com/watch?v=JmvglVH6dyU

●愛は花、君はその種子(ジブリ映画「おもひでぽろぽろ」主題歌)
https://www.uta-net.com/movie/75055/-fWlUFay50s/

●人生、歌がある2024年2月3日放送国民的演歌歌手 都はるみ特集
https://www.youtube.com/watch?v=N_rWbqXQlbU

Re: 追補 - K.Murano

2024/05/02 (Thu) 23:24:58

 上記:平岡正明氏の文章の中で、都はるみの「アリラン」は素晴らしい、とあるが、まったく賛成です(上記のサイト「夜来香 オリエンタルムード」参照)。

 都はるみの父はコーリアンだった。コーリアン・ランゲージの歌を、春美は父親か親戚から直接、聞いたことがあったのではないか。

 はるみが中国や朝鮮の歌を唄うとき、あの「こぶし」歌唱法は引っ込めて、澄んだ声が響き渡るのだ。
 
 もしかしたら、小さい頃、地元の西陣の音楽教室に通っていた時の歌唱法に戻って、大人の「都はるみ」は、父親につながる歌を唄ったのではないか(と私は思った)。

Re: 追補(2) - K.Murano

2024/05/02 (Thu) 23:58:17

 上記の中上健次の小説によれば、春美は小さい頃から、西陣の機織り女の母親(日本人)から歌を教わっていた。母は屋内で仕事をしながら歌を唄っていた。浪曲が好きだったという。

 歌謡浪曲と銘打った「王将一代 小春しぐれ」は、都はるみの歌人生の最高峰ではないか、と思った(上記のサイト参照)。

 村田英雄、三波春夫みたいに、浪曲を生かした歌を彼女はもっと歌ってもよかったのではないか。

 「王将一代 小春しぐれ」を唄っているとき、はるみは、もしかしたら、働きながら歌っていた母親の姿を思い浮かべていたのかもしれない。

Re: 正誤表 - K.Murano

2024/05/03 (Fri) 00:11:02

 上記「京都の喫茶店から「都はるみ」へ」で引用した中上健次の小説からの引用の第一行目:

 (誤) 転生の大歌手

 (正) 天成の大歌手
 

Re: 正誤表の正誤表 - K.Murano

2024/05/03 (Fri) 00:16:19

 (誤) 上記「京都の喫茶店から「都はるみ」へ」で引用した中上健次の小説からの引用の第一行目

 (正) 上記「京都の喫茶店から「都はるみ」へ」で引用した中上健次の小説の一節の第一行目

Re: 元気でいてね - 粕谷隆夫

2024/05/03 (Fri) 07:07:20

 「さようなら」は、いらない。「元気でいてね」。

 村野さんのご母堂。

Re: 元気でいます - K.Murano

2024/05/03 (Fri) 11:54:45

 ありがとうございます。

 母は先月、満98歳を迎えて元気です。さすがにちょっと、ぼけてはいますが。

 施設の方針か、塗り絵に励んでいます。同じ所の入居人たちが「おとなしすぎる」と不満を洩らしています。一人で大声で歌を唄っています(戦後ではなく、愛染かつらなど、戦前・戦中の歌が多いようですが)。

 『生きる 廉子・広子文集 増補改訂第2版』(私家版、2021年9月発行)所収の「飽きたからやめんべえや」という聞き書きの一文は、福島みゆき氏主宰の「せせらぎ」誌に載せることができなかったものす。これは、次回の「水源地」7号に載せていただこうかな、と希望します。その内容は、壷井栄の小品「餓鬼の飯」と共通するもので、農村の女の子たちのその行事については、母の文章のほうが詳しいくらいです。

 なお、上記の中上健次の『天の歌 小説 都はるみ』ですが、春美の父母の経歴については触れていません。「実録・都はるみ」だったら触れたかもしれませんが、「小説」ということで、当時、中上は、はるみのプライバシーを守ったわけです。

 私の母は、都はるみがいつまでたっても(若い女の子みたいに)長振袖のキモノを愛用していること、その柄(がら)が綺麗なことを指摘していました。

 引退したとはいえ、今ではネットでかなり、彼女の歌と姿を視聴できます。便利な世の中になったものです。

Re: 正誤表 - K.Murano

2024/05/03 (Fri) 11:58:50

 上記:

 (誤)『生きる 廉子・広子文集 増補改訂第2版』

 (正)『生きる 廉子・宏子文集 増補改訂第2版』

富弘美術館 - 粕谷隆夫

2024/05/02 (Thu) 10:06:33

 晩秋の一日、年にいちど東村の富弘美術館へ家族四人で出向きます。桐生、東村、足尾鉱山跡、日光回りの長距離ドライブです。美術館の横に小さな湖があり、ゆったりとした空間です。

 美術館の近くに日帰りの温泉があり、ここで昼食を楽しみますが、運転を息子と交代する場所で、「親父、一杯やってもいいよ」といつも言ってくれるのがありがたいです。

 星野さんの絵葉書を五枚購入するのですが、やはりすぐになくなってしまいますね。書庫にあるのは『ことばの雫』一冊のみ。

Re: 富弘美術館 - 粕谷隆夫

2024/05/03 (Fri) 08:25:02

わが愚妻は、茨城県自然博物館のボランティアに参加し、『鳥』の部に配属されました。70歳を迎えて退部しました。「あっという間の30年よ」。最初は馬鹿にしていましたが、そこらに飛んでいる鳥や、ドライブで空を横切る鳥の名前を簡単に口にする。

 「自然に植物にも詳しくなるよの」ときたもんだ。たしかに名前がポンポン出てくる。「門前の小僧か」と呟くと、相変わらず素直でないと切り返えされます。

 星野さんの言葉。「過去の苦しみが後になって楽しく思い出せるように、人の心には仕掛けがしてあるようです」。これは深い。『ことばの雫』の一節。

Re: 星野富弘とフジ子・ヘミング - K.Murano

2024/05/03 (Fri) 17:16:32

 先月は、ロシア系スウェーデン人を父にもつピアニストのフジ子・ヘミングが逝去しました。昨日の日付けで、彼女の財団のHPに、その旨の「案内」が載りました。

 https://fuzjko.net/news

 本日、近くの市立図書館に寄ってみたら、星野富弘とフジ子・ヘミングの特別のコーナーが設けられ、二人の著作が並べられていました。


スダチの花 - Himagine吉澤

2024/04/30 (Tue) 08:02:08

我が家の庭のスダチの木に花が咲きました。小さくて白い清楚な花です。今年は相当な数の蕾が出ていますので、秋の収穫が楽しみです。

風薫る - Himagine吉澤

2024/04/30 (Tue) 12:50:17

さらさらと そよぐ葉叢や 風薫る

時間 - 粕谷隆夫

2024/04/27 (Sat) 07:57:38

 我が友人、今井君(札大露語7期生)は、70歳になって札幌市から古里の石狩当別へ帰郷しました。昨夜電話しました。「また酔っぱらっているんですか?」「何言っているのだ。毎日の夕刊見たか。紀明君が出ていますよ」「え!」「あれからもう20年もたったのか」。

 紀明さんは彼の甥っ子なのです。「彼は今、大阪で、D×P(ディーピー)の代表をやっています」。「たまには当別に帰ってくるの」「いやいや、忙しいようです」。ディーピーは、困窮する若者を支援する認定NPO法人です。

Re: 時間 - 粕谷隆夫

2024/04/27 (Sat) 10:23:10

かれはまだ38歳です。

 若い、若い、頑張ってもらいたいです!!

一昨日・4月例会 - Himagine吉澤

2024/04/26 (Fri) 13:17:21

雨のそぼ降る中、集まりました。相変わらずのメンバー、相変わらずの写真です。

Re: 浅間山登山 - 粕谷隆夫

2024/04/29 (Mon) 07:14:49

 高校時代は遠くになりにけり。

 テントの設営が終わり、一息つきました。

 佐々木君の後世に残る言葉。『コンセントは、どこ?』。

 写真撮影は、小林君。



晩春から初夏へ - Himagine吉澤

2024/04/25 (Thu) 16:00:09

晩春から初夏への変わり目。若葉に被われた森の木々は、いつ花を咲かせたのかも知らぬ間に、今種々の実を実らせています。若葉は徐々に色を深めていき、直に強い匂いを発するようになります。

水辺の柳もいつの間にか花期が過ぎ、白い綿毛を纏った種子が次々と風に乗って空に舞い始めました。

 青空に 風花のごとく 柳絮舞う

Re: ありがとう - 粕谷隆夫

2024/04/26 (Fri) 07:59:23


 『ありがとう』にありがとう。

 写真はもう初夏の香りですね。

桑の実 - Himagine吉澤

2024/04/23 (Tue) 17:09:09

舎人公園の森で見つけた桑の実です。5月の連休明けくらいになると、この実が熟し始めて赤くなっていきます。赤い実はまだ酸味が強く、おいしくありません。5月も半ば頃になると、実は赤から濃い紫色に徐々に変わっていきます。濃い紫色になると、酸味がすっかりなくなり、甘くなります。

羊ヶ丘から半世紀 川上 宏

2024/04/22 (Mon) 14:06:48

 羊ヶ丘の集合写真から半世紀。
ひとり新参者が加わっていますが、同じメンバーです。
太った人、そうでない人·······。
しかし、熱い友情は不変です(笑)。

Re: 半世紀前 - 粕谷隆夫

2024/04/26 (Fri) 09:30:11

 50年前の札幌大通り公園の噴水前で。しかし誰が写したのか?・・・通行人のひとに頼んだのかもしれません。

 書庫の整理から、資料室の整理へ。「あまり整理を急ぐと、不吉なことが起きるぞ」と言われました。

赤い絨毯ロール - 粕谷隆夫

2024/04/22 (Mon) 07:39:46

 中学生の頃、近所の爺さんが、「俺は朝刊が来ると、まず死亡欄を見るのだ」と言っていたのが奇妙でしたが、最近の自分自身を見ると笑ってしまいます。

 令和3年か、今は令和6年だが、これで良いのだろうなぁ~。私の親父は鐘紡南千住工場に勤めていましたが、今度新しい社長が工場に来るというので全社員が集合して待っていると、黒いデラックスの国産車が到着した。後部のドアが開くと、赤い絨毯ロールがサア~と事務所棟までひかれたのです。

 帰宅した親父の言葉。「俺はあと5年で鐘紡を去る。社宅があるので、5年はここで頑張るが、いろいろ準備もあるからな」。昭和43年、小生は高校2年生でしたね。「新米社長だから気を使って黙って従ったのだろう」というと、「周囲の大学出の管理部門に止める者がいないのが問題だ」と言っていたのを記憶しています。

 当時、鐘紡は慶応閥が出世します。東大出はダメ。5部門の多角事業に対しても、「ペンタゴン事業と恰好よく言っても、日本中が高度成長時代がまだ終わっていないときだったんだよ」。

 しかし私は助かりましたね(結果的に)。53歳の若さで親父は亡くなりましたが、当時どうしようか考えているとき、物流の世界に入りましたが、カネボウ物流をはじめ、鐘紡関係の諸氏の方々が、「おう、利夫の息子か!」。これで『安定』を得ることができました。

花筏 - 粕谷隆夫

2024/04/19 (Fri) 07:09:07

 「ゆっくり勉強する時間がほしいなあ、ほんとうに。ただの勉強がしたい」。この気持ちは天道氏の気持ちに重なっているのでしょう。


 「日本中、桜に振り回されるわね~」と愚妻がつぶやく。「桜の見ごろはあっと言う間に終わるなぁ」と小生。ここに化学を専門にしている娘が偶然来ていたのが興ざめである。

 「ソメイヨシノは栽培品種。接ぎ木で日本中に広がったクローン桜よ。日本全国で同じDNA型遺伝子を持っている。だから一斉に咲き、一斉に散るのよ」。面白くない奴。

Re: 歳月 - 粕谷隆夫

2024/04/19 (Fri) 08:35:31

 書庫の横に資料室があり、気持ちが震度6以上に動かされた記事がアルバムのように残っています。「2009年3月か。え~、あれからもう15年もたったのか。人生は短い」。

 私が中学生のとき、親父が講談社の「吉川英治全集」の配本が始まったので購入してくれた。今は『三国志』3巻のみ残っています。古本屋を介して般若湯に変わったのだろう。それでも『新・平家物語』の最後の場面の杉本健吉の挿絵は鮮明に記憶しています。

 戦火をくぐり抜けた日本人が至る所にいて、当時は花見に涙する人も、今思うと記憶の隅に残っています。

 歳月を感じますが、司馬さんも『歳月』という小説を書いていたが、あれは誰が主人公だったか?

Re: 羊ヶ丘 - 粕谷隆夫

2024/04/20 (Sat) 07:56:16

 書庫の整理が一段落し、資料室を・・・と思ったら、「こりゃ、1年はかかるなぁ~」の感覚。

 土曜日なのにゾロゾロ出勤している。ドライバーたちはトラックの洗車。「休日だぞ。朝風呂に浸かってビールを楽しめよ」と言うと、「いやいや、洗車手当5,000円もらっていますから」ときたもんだ。こりゃ、昼飯の定食代いくら渡せばいいのかな。何人いるんだ?

 資料室に戻り、一番上の棚の箱(ボロボロ)を降ろしたら、数枚の写真がヒラヒラ。その中の一枚を見たら、ビールが呑みたくなりました。夏雲のもと小林君が、「こんなに広いのか!」。

 「粕谷の野郎、札幌に行って、ひとりで寂しがっているだろう」と高校の仲間が、わざわざ来道してくれましたね。写真を撮ってくれたのが、佐々木君。吉澤編集長と峯雲先生の計5名でした。


Re: 〈桜の解体〉と〈虹の解体〉 - 天道公平

2024/04/22 (Mon) 23:14:22

ひかるさんの言葉に対する粕谷大人の反応は、ニュートンに対するキーツの反応に似ている。
·····と書いただけで、ひかるさんには通じるだろうと思うが、果たして粕谷大人に通じるかどうか?分からなかったら、ひかるさんに訊いてみてください。

Re: しかし知らぬことばかりなり - 粕谷隆夫

2024/04/24 (Wed) 08:32:58

 ロマン派のジョン・キーツは名前のみ憶えています。いわんや、リチャード・ドーキンスはまったく知りませんでした。「虹の解体」ですか。

 アンドレ・モロワ「バイロン伝」(角川文庫)を再読したくなりましたが、書庫に残っているかな?

Re: ありましたね - 粕谷隆夫

2024/04/24 (Wed) 09:20:32

 カバーは「バイロン」。ジュリコー筆。

 昭和四十三年十一月十日再販発行。訳者は大野俊一氏。明治三六年(1903年)東京に生まれる。もうお亡くなりになりましたか。

 昭和43年11月ですか。小生16歳の秋です。忍岡高校2年生のとき。

Re: 虹の解体 - 天道公平

2024/04/24 (Wed) 22:58:43

リチャード・ドーキンスの『虹の解体』(福岡伸一訳、早川書房)を読んだことがない人のために説明を加えておく。

タイトルの『虹の解体』は、ジョン・キーツの詩に由来する。キーツはニュートンが嫌いであった。なぜなら、キーツは、ニュートンこそが虹の持つ詩的なものをすべて破壊したと考えたからである。虹を物理学的に解体し、光のスペクトルとして説明してしまったことが、キーツのお気に召さなかったのである。

こうしたキーツの態度に対し断固として反対するために、ドーキンスはこの本を書いた。虹を解体することによって得られた新たな知見こそが、本当の「詩性」の源となるべきものであることを主張しようとした。その目的は充分に達成されていると私は思う。

この本の「第10章 遺伝子版死者の書」の末尾にあるドーキンスの文章を引用しておこう。(適宜行間を空ける)

「(······)、DNA とは、自分たちの祖先たちが生き抜いてきた世界についての暗号化された記述である。なんと心ときめく考え方ではあるまいか?

我々はアフリカ鮮新世をデジタル記録した図書館であり、さらにはデボン紀の海のデジタル記録でさえある。古き時代からの知恵を詰め込んだ、歩く宝物庫なのだ。

そして一生涯をかけてこの太古の図書館を読むことに費やし、しかしなおそのすべてを知ることなく死ぬのである。」

このドーキンスの文章に私は詩情を感じる。自分の体内に備わっている太古からの貴重な蔵書を是非読みたいという欲望に駆り立てられる。〈歩く宝物庫〉としての自覚がない人に詩人になる資格があるのだろうか?

Re: 早川書房ですか? - 粕谷隆夫

2024/04/25 (Thu) 08:51:38

 早川書房の編集部にも異才の方がいますね。

Re: 早川書房です - 天道公平

2024/04/28 (Sun) 12:29:15

問題∶早川書房から刊行された以下の書物の共通点は何か?
(刊行順に並べようかと思ったが、手間がかかるのでやめておく。順不同。)

(イ)リチャード・ドーキンス『虹の解体』
(ロ)ピーター・アトキンス『ガリレオの指』
(ハ)サム・キーン『スプーンと元素周期表』
(ニ)フィリップ・ボール『かたち』
(ホ)アミール・アクゼル『フーコーの振り子』
(ヘ)ジェニファー・アッカーマン『かぜの科学』
(ト)ニール・シュービン『あなたのなかの宇宙』
(チ)トム・クラインズ『太陽を作った少年』
(リ)マット・リドレー『進化は万能である』
(ヌ)カール・ジンマー『水辺で起きた大進化』
(ル)ダニエル・リーバーマン『人体600万年史』
(ヲ)アントニオ・ダマシオ『自己が心にやってくる』
(ワ)デイヴィッド・イーグルマン『意識は傍観者である』
(カ)ランドール・マンロー『ホワット・イフ?』

すべて翻訳書であるとか、すべてノンフィクションであるとか、ポピュラー・サイエンスの本であるとかは不正解とする。正解発表は後日。

「銀の時代」→「血さわぎ心躍る」 - K.Murano

2024/04/19 (Fri) 00:34:50

 粕谷発行人が昨日(4/18)下記「方言と翻訳」で高柳聡子氏の新著を紹介していますが、その初出に当たるWeb上の同氏による翻訳詩の連載については、すでに昨年3月、天道公平氏が言及しています。上記ワード検索で「埃だらけのすもも」とキイワードを入れれば閲読可能だと思います。

 「1890年~1920年代は、ロシア文学において「銀の時代」と呼ばれているのですか。知らなんだ。」

 とのことですが、これはロシア文学の中でも詩人たちが活躍した「この時期」を指す言い方です。ブローク、エセーニン、パステルナーク、マヤコフスキーと挙げれば十分でしょう。
 もちろん、高柳氏は同じ時期の有名・「無名」の女性詩人たちにとくに着目しているわけですが。

 19世紀前半のプーシキン、レールモントフらの詩人の「時代」が「金の時代」Золотой векとロシア文学史では称されています。
 それに続くのがトルストイ、ドストエフスキーなどの偉大な小説の時代。
 そしてこの大波のあとに、今度は天才的な詩人らの「銀の時代」Серебряный векの幕が開いた、というわけです。(「金の時代」が二つあるわけにいきませんから、こちらは「銀の時代」。)

 「時代」と訳されていますが、上記のように векという語を用います。これは、20-й век(20世紀)というように century(世紀、100年)として使われることが多いのですが、「銀の時代」という場合は、19世紀90年代から1920年代のブロークやエセーニンの死あたりまでのせいぜい30年、40年くらいの時期を指します。1930年のマヤコフスキーの自死まで、という説もあるとか。

 「水源地」6号所収の白玄丹波氏の文章の冒頭に、今春、札大教授の山田隆氏が学生へのお別れの辞として、Век живи, век учисьと述べられたことを紹介しています。

 この場合の векを「世紀」「100年」としたら(ですが)、意味が「100年生きよ、そして100年学べ」(直訳)となります。
 Викисловарь(ヴィキ・スロヴァーリ)というネット上の辞典を見たら、この決ま文句について、こういうことが書いてありました。

 「いつも何か学んでいなさい、自分がごく経験ゆたかであっても(あるいは自身をそうみなしていても)、常に、新しい知識には開かれていなさい」

 日本の辞典ではスペースの関係で「生きている限り学べ」と、ずいぶんと短縮された翻訳表現になってしまうのですが、ロシアのほうは土地が広いせいでしょうか、さすが「ゆうゆう」と説明しています。

 いつも何か学ぶ、いつも「血さわぎ心躍る」、とは、まさに、「水源地」6号で荒井寿恵氏が紹介されたところの、鎌田とし子先生の世界ではないでしょうか。

 (注:「血さわぎ心躍る」とは鎌田とし子先生の今回の新刊の副題)

Re: 補足(脱線) - K.Murano

2024/04/19 (Fri) 21:53:29

 山田隆先生が大学を去る際に教え子たちに告げた言葉、その言葉を引用した白玄丹波氏。

 実はここがロシア人の面白い處なのですが、山田先生や丹波氏推奨の「生きている限り学び続けよ」という決まり文句<Век живи, век учись>は、或るロシア人に言わせると「学校ではここまでは教えるというその範囲内」だそうです。

 実際には、さらに、<а дураком помрёшь>と続くことがある、とか。すなわち、「直訳」すれば、「馬鹿として死すだろう」。


 多くの日本人はたぶん「私は馬鹿としては死にたくない」でしょうが、ロシア人はかなり、達観しているわけです。あの連中は相変わらずアル中が多くて駄目だとか、プーチンのいいなりになっていて馬鹿みたいだ、とか今の私は言いたくはありません。しかし、ロシア人自身は、このように、自分を冷静に見ているわけです。

 もちろん、この「馬鹿」を「学者馬鹿」と捉えて、人生は短いから、一芸に秀でる者も二芸、三芸、四芸と秀でることはできない、と、解釈することは可能です。

 巨大な宇宙、この大きな世界からみれば、ちっぽけな、短い人生の間で、いったい、何ができるのか。 パスカルは「考える葦」と言ったが、これはわれら人間への励ましの言葉だったのでしょうか。

 ■資料紹介:

 『注解 露語熟語辞典』(井田孝平校閲、哈爾浜学院教授水谷健行著、東京「橘書店」版、昭和10(1935)年11月発行)から――
 век живи, век учись. 百年生きれば百年学べ(諺)即ち人間は生涯学んで止めるなの意。

 『プログレッシブロシア語辞典』(編集主幹・中澤英彦、小学館、2015年3月発行)から――
 век живи, век учись(, дураком умрёшь)
生きていれば学ぶこともいろいろあるものだ;
 長生きはするもんだ。

荒井寿恵さま、ありがとうございます - 粕谷隆夫

2024/04/18 (Thu) 07:49:05

 鎌田先生のご本が届きました。ほんとうにありがとうございます。

 翻訳家兼クニージニクの村野さんからのメールを読むまでもなく、手に取って、驚きと黙考でした。じっくり読了してから感想を書くべきでしょうが、この「談話室」の役目もあり、お礼を早く、また確かに届いた報告もありますので一文を記してしまいます。

 今は亡き札大露語の恩師の方々の生前のお姿が目に浮かびました。とにかくお世話になりましたし、若き日にはわからなかった言葉の意味合いを痛感する年齢になりました。

 鎌田先生のお言葉。「心を込めて育てたつもりの教え子たちが卒業後どのように生きているかを知って、自分自身の教育人生に対し裁きを受ける覚悟」には絶句。「真面目で素直な学生ばかりでした。それが私の生涯の誇りです」にほっとでした。

 先生は、平凡社の『大百科事典』の婦人会、婦人連合会の項目を執筆なさっています。私たちの時代、わが荊妻も貯金をためて、苦労してこの辞典を揃えましたが、今は書庫の奥の奥に眠っております。時は流れますね。

 「血さわぎ心躍る日々」の副題、若い!!

粕谷隆夫様、感謝します。 - 荒井寿恵

2024/04/18 (Thu) 12:03:40

粕谷様、受領のご連絡をいただき、ありがとうございます。。百科事典項目まで触れてくださり、驚嘆しました。
吉澤編集長様、お世話になりました。編集後記を拝読し、お手数をおかけしたこと、誠に恐縮です。
卒後44年、未だに恩師の指導を受けて、貴誌に掲載させていただきました。

Re: 方言や翻訳 - 粕谷隆夫

2024/04/18 (Thu) 12:15:53

 物流という仕事柄、何処にでも車で出かけてしまいます。九州での大きい会議の時、みなさん飛行機で来て帰る(すなわち往復飛行機)のですが、こちらは4泊5日の旅。「完璧に遊んでいる」と呆れられていますね。鄙びた山村、漁村に泊まると、方言の湯舟につかることになる。

 高柳聡子氏『埃だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち』が紹介されています。1890年~1920年代は、ロシア文学において「銀の時代」と呼ばれているのですか。知らなんだ。

 一冊の書物の中に久方ぶりに集うのですか。

Re: 編集も楽しみのひとつ - Himagine吉澤

2024/04/18 (Thu) 22:26:07

荒井様、編集作業というのもなかなか楽しいもので、私はこういう手仕事みたいなものが結構好きです。「編集後記」に書いたような他者が手を加えることを拒むようなガチガチの書式設定の原稿などについては、却って闘志が湧いてきたりもします。

但し、これは充分に時間に余裕がある場合の話です。今回は自身の原稿の校了が遅れ、他の寄稿者の原稿の編集にあまり時間がとれずに苦戦しました。

裏話をいたしますと、荒井様の初稿から最終稿に差し替える際、鎌田とし子先生ご自身による修正が加えられていると村野氏よりお聞きしていましたので、こちらでは文章そのものに手を加えることはせず、タイトルの変更(長かったので)と、タイトル・著者名のフォントを変えるだけにとどめました。

それにしても、今回は荒井様のお陰で、思いがけず鎌田先生の著書をいただけることとなり、これにはすっかり驚きました。感激もひとしおです。荒井様と鎌田先生に感謝申し上げる次第です。まことにありがとうございます。

えッ、同い年でしたか - 粕谷隆夫

2024/04/16 (Tue) 10:34:20

 船越さんが亡くなられた。ずっと年上の方だと勝手に思っておりました。

 作品は何とも言えぬ味わいを感じて、しばらく瞑想の域に遊ぶことを許してくれました。

Re: えッ、同い年でしたか 草野義彦

2024/04/16 (Tue) 20:10:36

私も同い年とは思っていませんでした。
まだまだこれからの年齢なのにと思うと、亡くなってしまってとても残念です。
新しい現代の具象彫刻を牽引した方で、確かな造形性を持ちながら、抑え気味ではありますが滲み出る心の動き、彩色を施した木彫は、モダンでカトリック聖母子像を思い起こさせる宗教性も感じられました。
それは父の保武さんの作品にも共通点があるような気がします。
御冥福をお祈りします。

さまざまな こと思い出す 桜かな 川上 宏

2024/04/17 (Wed) 14:57:38

 船越桂氏の展覧会は、地元の館林美術館でも開催されました。

Y.M.O 高橋幸宏氏 坂本龍一氏 演歌歌手 八代亜紀さん
歌手 おおたか静流さん

 私逹とほぼ同年齢の才能ある方たちが、惜しまれながらも
次々と鬼籍に入られました。われら3年A組のクラスメイトも、
1年の間に2名も亡くなられました。     
謹んでご冥福をお祈りいたします。 合掌

吉澤編集長お疲れ様でした - 中町礼願

2024/04/15 (Mon) 10:02:33

吉澤編集長、雑誌【水源地第6号】発行お疲れ様でした。
原稿を提出すれば終わりの寄稿者とは違い、編集作業には並々ならぬご苦労があったかと思います。吉澤編集長には感謝の気持ちでいっぱいです。
今回拙著に関しましては、登場人物の名前を変更して頂きました。
実は意図して最初の字を宛てたのですが、編集長が読み易い字に敢えて変更して下さいました。結果的にモデルの実名に近づいてしまい、多少戸惑いましたが。
挿入写真については素敵な加工を施して頂きました。本当にありがとうございます。写真のカフェは横浜の木かげ茶屋というレストランのもので、ストーリーとは無縁のところです。田園都市線の江田駅を過ぎた246号線沿いにあります。ただこのレストランの設計者は北海道斜里町のご出身です。その方も本を何冊か出版しておりますが、手書きの原稿を小職がWordに変換して出版社に提出しております。そうした意味では編集長のご苦労が多少理解出来る側にいるでしょうか。
達成の喜びは、一連のご苦労を我々が如何に気付くことが出来るかにかかっているようにも思います。編集長、本当にありがとうございました。
私事ですが、先週末に退院して横になりながら【水源地6号】を読み始めているところです。通常業務に戻るまでの楽しみが、当該雑誌を読むことです。

Re: なにかが終わりなにかが始まる - Himagine吉澤

2024/04/16 (Tue) 00:14:39

宮本輝の『ここに地終わり 海始まる』の巻末の解説で、古谷健三は「すぐれた物語を読むことは、まさに心のなかでなにかが終わりなにかが始まる体験をすることではないだろうか」と述べています。私自身は、作品を書くということも同様ではないかと考えています。何かが終わって、またそこから何かが始まるわけですね。

コツコツと書き続けてきた作品が完結する、あるいは一段落する――これは書き手にとっては大いなる歓びではありますが、それですべてが終わるわけではありません。そこからまた何かを始めなければならないと表現者は考え始めます。終わりがないのです。終わるのは生が終わるときでしょうか。

ひとまず自作が一段落したところで、私はそんなことを考えています。

雑誌「水源地」第6号は一先ず発行・公開しましたが、まだこの先も続きます。また何かが始まるわけです。これを続けるには困難もともないますが、そんな中で編集者・作者に暖かい言葉をいただけることは、たいへん励みになります。中町様、ほんとうにありがとうございます。

Re: しかし、気持ちのいい言葉です。 - 粕谷隆夫

2024/04/16 (Tue) 07:43:53

 「なにかが終わり、なにかが始まる」・・・いい言葉です。よく湧き出るもんです。『水源地』6号をゆっくり読む楽しむ時間が当分続くシアワセは何とも言えません。これも編集部のお二人のおかげです。

 宮本輝の「青が散る」は青春を切り取ったすばらしい小説です。遠い昔、札大露語7期生の竹田のユリッペたちがテニスコートを作れ(テニス部)と奮闘していたことが懐かしいです。見事なテニスコートが完成しました。

 今は何が何だかわからない「サツドラ」に占領」されて、無惨なり。

 

Re: サツドラ? - Himagine吉澤

2024/04/16 (Tue) 18:10:16

「サツドラ」って何? 相変わらず急に話が飛ぶ印象。♪飛んで、飛んで、飛んでぇ~……。わけがわからん。

Re: 「水源地・池」? - 粕谷隆夫

2024/04/17 (Wed) 07:06:14

 「サツドラ」は札幌ドラックストア(コンビニ)の略らしいです。札大露語の4期生の小林女史が、「あなた、テニスコートをつぶして、その上にサツドラを建てたのよ。考えられる!」と憤慨していました。まさかと思って先般大学に顔を出したらビックリでした。大学の生協は大丈夫なのかな?

 あるひとが「水源地」の由来を聞いてきました。「水源地」第一号に書きましたが、西岡水源池が源泉です。相変わらず静かで美しい景色に包まれています。

 写真家の吉澤編集長の腕の見せ所ですし、ビールが旨い処でもあります。


Re:いよいよ初夏 - Himagine吉澤

2024/04/17 (Wed) 17:23:43

こちらは都立舎人公園の大池の写真(4月17日、午前10時20分頃撮影)。池の周辺の木々にも若葉が萌え出て、枝全体が萌黄色に染まってきました。この若葉が薫るのはもう少し先になります。いよいよ初夏ですね。


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